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オーナーストーリー

責任者として

入社して4ヶ月後、丁度毎年恒例の花火大会の前日。知らないおじさんから「山尾君ちょっと話があるから二階の喫茶に来てくれるか」と呼ばれた。社長だった。それまでの4ヶ月間1度もお会いすることがなかったが、店長から報告されているようだった。

「君、明日から支店へ行って欲しい。そこへ行って君が思うようにやっていいから。」
と言われた。

古市にある6坪ほどの小さなお店の責任者にいきなり抜擢されたのだ。目標がないといけないので2年間で売上を倍にしてほしいと具体的な数字をその時に言われた。当時売り上げが8万円〜12万円。けっこう売れている方だったが、それを2年間で25万円にすることができた。必死だった。 その時に自由にやっていいと言われたので分からないなりに、チラシやポップ、プレイスカードも全部手書きで作っていた。書くことが好きだったので鉛筆、クレヨン、絵の具やピンキングバサミありとあらゆる文具をお店で揃えてもらい、他所のお店や百貨店へ行っては「ポスターもポップもかわいく書いてるな。」と見て来て自分たちでやった。

夜の大学生のアルバイトの子や近くの芸大の子はけっこう時間もあったので時給無しでやってくれた。お店を閉めてから11時くらいまでかかっていた。 その時に「自分で出来るやん!自分でやったら楽しいやん!」と思った。20代にそんな経験をさせてもらった。 そのお店の2年間の実績をかわれ、また社長に呼ばれて「今度は本店をやれ」と言われた。最初に4ヶ月居たお店。そこで2年くらいやり、販売を4年ほど経験させてもらった。

もう一度見習いへ

4年間色々やっているうちに、ウィンドウに並ぶケーキの美しさや細やかさに魅せられるようになった。 4年目に社長に「作る方を勉強したい」とお願いすると「元々そう言ってたからね・・・でも一からの丁稚やで・・・。」と言われた。「分かっています。」 そうして25歳からケーキ作りの第一歩が始まった。 最初は焼き物からスタートした。当時は焼き物5年と言われている時代だった。作り手は10人位の男性ばかりで、とても緊張感があった。しかし実際に見習いで入ってみると今までの見方とみんなの目も違っていた。工場での初めての朝礼で自己紹介と挨拶をした。その時に工場長に「君は見習いやで。
見習いって字で書いてごらん。見習いは見て習うんや。よく見るように!見るのがお前の仕事や。」と初日に言われた。「この世界は理屈はあるけれど理屈で憶えるものではない。何でも体で憶えるように」と言われた。
販売も含め、今思えばあれだけ厳しくしてもらえた幸せだったと思う・・・感謝している。

修業時代を振り返り・・・

『FLOUR』さんにお世話になったのは17年間、植松社長に育ててもらったという想いだ。他は何処のお菓子屋も知らない。 『FLOUR』さんで全てのことを勉強させてもらった。独立を意識し始めた30歳の頃に植松社長に「どこへ行っても、知識に繋がるのは事実でお前が行きたいと思えば行けばいい。独立するには色んな経験をした方がいいけど、それは100点でなく60点でいいんだ。後の40点は独立してからお前がまた勉強したらいい。仕事しながら覚えていったらいい。人やお金に関する問題もこれから色々出てくるだろう。でもその時その時に自分で考えて結論をだしたらいい。でも今ここで修行している間は最大限、吸収したらいいんだ。作ること、売ること、経営すること、建物のこと、イベントのこと・・・ あらゆる経験がきっと独立した後にお前を助けると思う。」と言われた。

「100点でなくても60点でいい」その言葉で気持ちの中の張りつめた緊張が楽になった。浅く広く知っていた方がいい。それは『FLOUR』で充分出来るだろうと思った。何度か独立のチャンスはあったが、結果的に辞めさせてもらったのは37歳の時だった。 独立する1年前は全ての仕事から外れてお店の準備を会社でやっていいと言われ、3ヶ月間立ち上げの仕事をさせてもらった。普通ならそんなことありえない。 独立するとき社長が「俺は保証人の判子を一回も押したことはないんだ。身内にもない。でもお前は押してやる・・・」そう言って下さった。独立してから6年後、借金返済完了の証明書を持って行ったとき、そのとき初めて「独立したなぁ。」と感じた。17年の間色んなことを勉強させてもらった。

独立・・・しかし

37歳の時に独立した。
最初は金剛の駅前で5年半やったが、いつ潰れてもおかしくないくらい全然売れなかった。女房が他の仕事をしていたので、それで潰れなくて済んだという感じだ。
もし一緒の仕事をしていたら潰れているなと思うほど売れないところだった。

ケーキ講習での転機

前のお店は月曜日にお休みをいただいていたので月曜日の午前中に自宅出張型のケーキ講習をやっていた。各家庭へ出向いて、家庭にあるオーブンとかケーキ道具を使い、説明してそこの主人公にやってもらう。というケーキ講習を無料でやっていた。リクエスト制でやっていた。しかしお客様があんまりにも気を使ってくださり、お花をいただいたりするのでその後1人500円だけ頂くようにした。 3人か多くて6人位のグループで毎回終わるとお茶をしながらみんなで色々しゃべっていた。その中で「どこか(移転先に)いい場所がないかずっと探しているんです。」と言っていたら、生徒さんの1人に不動産の事務を手伝っている方が居られて、「近くに一軒、店舗と住宅を一緒にやるということであれば土地を貸してくれるという人が居るから見ますか?」と言って下さった。

それで土地を見に行き、半月くらい必死で通行調査とかをやったのだ。当時は周りに商店が何もないのでみんな反対と言ったが、前の道幅が非常に広く、トラック等が全然通らない生活道路で富田林を回る循環バスが通っていた。そのことから金剛の駅前よりはいいかなと思い。思い切ってここに移った。 最初の所で利益が出ていなかった分お金が借りれず女房に住宅資金として借り入れてもらった。女房に借金をして・・・そんな状況だった。こちらに移って8年目、独立してからは14年目になる。移転してから思うようなお菓子作りが段々出来るようになった。

地域密着!菓子工房yamao

ヤマオカードというバーコードで管理している顧客カードがある。前もって住所、名前、電話番号、生年月日を聞いている。どれ位の年齢層の人がうちの店を中心として半径どれ位の地域から一ヶ月、一年でどれくらい来られているか、どれくらい買ってくれているか・・・個人ではなく全体としてうちを利用してくれているお客様の買い物情報が知りたかったのだ。結果的にはそんなものは要らないのだが、知りたかった。特にどれくらいの商圏から来てくれているのかということを・・・。 カードを作って1万人ぐらいのバーコードを集計するレジなら分かるかなと思った。

5年掛かった。お陰さまで今は2万5千枚ある。これだけのデータがあると色んなことが分かる。ほぼ90%のお客様がうちのカードを持っている。その9割の情報の中を開いてみると、お店を中心とした半径500mの円の中に85%のお客様が居られた。すごく地域密着だ。カードを持たないお客様を含めて7割近くのお客様がたった500mの円の中に居られるのだ。ここの藤沢台6丁目町内会の方でお店のカードを持っている率は95%なのだ。 だから地域のお客様から得た利益を地域の人に還元するのが私たちの仕事なのだ。従業員にも還元するがお客様にも還元することも、仕事だということをスタッフにも具体的に言っている。本当にビックリだ!やっぱり地域密着なんだと思った。

うちはプロのデザイナーは入れてない・・・どんなことに対しても。名刺もパソコンを使い、自分たちで作る。チラシも手で書けば出来る。お金を出せばプロのデザイン事務所が洗練されたデザインでいくらでもやってくれる。 でも・・・スタッフでやれる範囲はやればいいじゃないか。こういうのを書くのが好きとかラッピングが好きとか企画が好きとか、好きな子にやってもらっったら一生懸命やってくれる。イラストやデザインぽいことは、うちのスタッフで元々作り手だった子にやってもらっている。ホームページの立ち上げ、うちのホームページの企画とかお店の飾り付けとか店舗の小物などの用意もやってもらっている。

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