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オーナーストーリー

yamaoの取り組み

金剛のお店時代から家庭科のケーキ実習の講師に行っている。近くの高校の先生と知り合いなので調理実習の一環として生徒に教えている。PL教団の保護者会イベントやなんでケーキ屋になったのかという講演など・・・色々呼んでもらっている。
自分のことは言わなくていいと思っているが将来の子供達のためと言われるとちょっと弱いのだ(笑)

夏休みを利用して年に一回子供達のイベントもやっている。 別にお菓子にはこだわらずみんなで駄菓子作ろうかということもある。 クッキーやマドレーヌ、屋台をやったり、たこ焼き焼いたり・・・。 みんな少年のようになれるし・・・小学生にしたら前にケーキ屋があるのって、この子達が中学・高校になっていつか旅立っても、「夏休みの思い出は何?」と聞かれた時「ヤマオ」での思い出を誰か一人でも言ってくれたら嬉しい。

子供達が見えるように、工房もガラス張りにしている。良かったら入って来ていいよ、みたいなそういう雰囲気にしようと思っている。 10月のハロウィンには子供達のための仮装大会も兼ねたゲームイベントがある。夏もイベントがあり、秋はハロウィンがあり、年間4回か5回ほど利益度外視して、地域の人達と一緒に楽しめることをしている。 団塊の世代はあと10年ちょっとと、後仕事ができる時間が限られている。それを考えると未來の子供達が甘いものに対して「本当のものはなにか」ということを考えるきっかけになるのであれば講習にしても少しは役に立てるのかなと思う。

店舗を増やしいくという営業方針ではなくて、地域のお客様に生かされているということに感謝して・・・毎年着実に自分たちができることを実行することが社会的使命であり、地域の人に愛されるということが一番大事だと思っている。

yamao味の素

20代後半まですごくフランス菓子に憧れていた。その頃はプリンとか苺ケーキは興味なかった。初めてヨーロッパへ行ったとき田舎町も回った。パリでフォションが全盛期でピエールエルメが一世風靡していた頃だった。その頃自分の中で考え方が変わった。 大都会パリではすばらしい新しいお菓子がたくさんあった。もちろんすごく美味しいとは思ったのだがこれを全フランス人が美味しいと思っているのかな・・・と感じたのだ。その時にパリを離れて田舎町に行った。 びっくりするほどオールドファッションなのだ。昔の伝統的なお菓子を未だに受け継いでいることにビックリした。

今も時々行くが今だに昔のお菓子を売っているし、みんなそれでいいと言っている。その時にフランスだけでなく色んな国のお菓子を食べてみたいなぁと思った。ドイツへ行った時にフランスとは全然違う伝統的なお菓子などがあり、ものすごく大きいのでお店の人に「これもうちょっと小さいのないの?」と尋ねたくらいだ。ところが食べてみると軽くて口の中ですっと溶けて、チョコレートの味がしっかりしていて。それにすごく感動した。その時に、これがドイツ人の考え方なんだなと思った。 イタリアへ行ったりスペインへ行ったりしたが、何処も全然違う。つまりヨーロッパは何百年前からの文化の中でそれぞれの国の地方の歴史に合ったものをみんなが美味しいと思って食べているんだということだ。

自分の中でそれまでフランス菓子以外はお菓子じゃないという考え方しかしなかったことがその時に吹っ飛んでしまった。 日本へ帰って来たとき、私は日本人だし麦や米の雑穀で育った人間なんだ。やっぱり朝はみそ汁を食べたら美味しいと感じるし漬け物もすごく美味しく感じるし豆が大好きだし。そういう日本人の今まで育ってきた環境とか風土とか大げさに言うとDNAとかそういうものを呼び起こさせるというか・・・誰が食べても「これは美味しいわ!」という食感や軟らかさとかそう言うことを表現した方がもっと喜んでもらえるんじゃないかと思った。抹茶とかきな粉などの和素材を洋菓子に取り入れることは可能だ。だから和菓子屋さんやおかき屋さんなんかの独特のお菓子文化をもうちょっと知った上で商品を作れたらもっと日本人の持っている味覚に合った今までの生活スタイルのなかで安心して食べられるものになるんじゃないかなぁ、そういう安心という部分も含めてお菓子作りができないかなぁ・・・と思い始めた。

30代後半からそう言う部分が強くなってきてあまりフランスだとかドイツとかこだわらないで自分の思う洋菓子を提案出来たらいいなぁ。それも、お店のある地域にわかってもらえたら・・・それができたらすごく幸せだと思った。こんなことで出発した。 人それぞれの味覚って時代背景や環境がすごく影響していると思う。私の場合はお母さんの味。貧乏な家だったがお袋はけっこうハイカラな人だった。 沖縄の揚げ菓子のサーターアンダギー。粉と砂糖と牛乳と卵を入れて油で揚げるお菓子だ。うちの母はそのお菓子を作る時砂糖だけでもいいけれど練乳を入れたらとても美味しいって良く使っていた。練乳は、すごくいい母親の思い出なのだ。母が練乳を溶かし込んだシロップをかけたホットケーキを焼いてくれたときはものすごくうれしくて幸せな気持ちになったこと、すごく良く覚えている。だからお袋の味といえばどうしても練乳味が頭の中にしみ込んでいる。

だからうちの配合の中には練乳がやたら多い。体のどこかに小学校時代やってくれた母親の練乳仕込みの味がしみついていて自分がたまたま菓子屋になった時に自然に「練乳入れた方が美味しいんじゃないかなぁ。」と引っ付けてしまう。それは完全に母親の影響だと思う。 お母さんが幼児期や学童期に与えたおやつは絶対沁み込むと思う。例えば「ヤマオ」で買ったお菓子が沁み込むだろうけれど、より母親のやることは子供達の体に沁み込む。こういうことを講演でも話したことがある。 このマドレーヌは焼き物の原点になっている。全然フランス菓子ではない。ミルキーな母の味だ。

菓子職人として

うちのスタッフには是非独立してほしいと思っている。人に雇われていたのでは自分の夢は達成出来ない。自分で描いた未來予想図は自分で本物にしていかないと・・・自分で考えたことは自分でやる。これが基本。 この業界はいっぱい助けてくれるひとが周りにいるので素直に頭を下げて飛び込んでいったらヒントをもらえる。みんな繋がっているからこの世界は本当に面白い。自分がこの仕事を一生の仕事としてできることに誇りもあるし喜びもあるし・・・「しんどいけど菓子屋になりや」とみんなに言っている。

人の3倍4倍働かないといけないけれど、楽しさは人の3倍4倍はある。やった分だけはある。長くは出来ないかもしれないが、この仕事はめっちゃ面白い。でも仕事はキツい。この仕事を選んだ限りそれはしょうがないこと。 朝は6時台に出てきて7時から仕事をして、帰ったら10時11時がずっと続いて・・・家に帰ったらバタンキューで寝て終わり。そりゃあ「何のために私生きているの?」ということになるかもわかりませんが・・・選んだのは自分だ。お菓子漬けで20何歳から何歳まで恋愛も習い事も何も出来なかったけど「お菓子しかやってなかったわ」と言える人生もあっていいと思う。

未來予想図

私は60歳でこの仕事を辞めたい。後10年だ。この仕事を誰かに譲ってもう一回自分一人でやりたいのだ。 すごく我侭だが、山の中で・・・。フルーツは近くのおっちゃんと一緒に作って、工場は自分の手作りで建てて、最新式の器械は使わず釜も自分で作って・・・。そんなことをしたい。自分の体の動くスペースでやりたい。 後10年間はこのスタイルの地域密着のスタイルは絶対崩せないと思う。もちろん借金もあるのでやるけれど、それ以降は新たなテーマの中で自分の同世代の今までお付き合いしてくれた仲間を招待出来るような場所を。
自身の未來予想図がないと・・・。私は子供がいないので女房と2人だけで出来るお菓子屋を作りたい。森の中でそんなことが出来たらなぁと思う。 もちろんその間にどうなっているのか分からないが、この店は後10年で辞めたい。そして自分一人でやりたいというのが次の目標だ。今の50歳の地点ではそれが夢だ。女房も「勝手にどうぞ。」と言っている(笑)。なるべくお金を使わないで自分達でゆっくりしたペースでやりたい・・・。

今うちに来てくれている若い子にも「あなたの未來予想図は何?」とよく聞く。 そこから始まっていかないと面白くないじゃないか。未來だから明日でもいいし、3年後でもいいし、10年後の自分の未來をどんな風に絵を描いてる?どんな形?どんな音?どんな匂い?何でもいいのだ。この今から見える未來・・・。 独立してみて、自分の夢を達成して商品も好きなように作ってきて、いろいろやってきた。段々スタッフもちょっとずつ増えてくると・・・今度はスタッフが考えたことやお客様が企画してくれたことをいかに形にしてあげるかという目標というか・・・そういうものにとても興味がわいてきた。
お客様やスタッフの喜びを叶えてあげようというか、地域の人やみんなで楽しくやることとか自分の喜びや達成感に変わってきた。自分のこともあるのでそれもやるがスタッフやお客様の考えていることを形にしてあげたいという部分が段々強くなってきた。お店はお菓子とお金の取引で買っていただくという行為だがそれだけじゃないと思っている。地域の人とわいわい出来たらいいと思っている。

この記録は社長(山尾)の1995年(50歳)の記録です。 社長の夢は次々と変化し、未来予想図書き換えられている。 どんな未来が待っているか。それはまた別の機会に・・・。

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