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オーナーストーリー

些細なきっかけ

高校卒業後、印刷関係の仕事をしていたが20歳になる少し前、人間関係が今ひとつ上手くいかず2年間でやめてしまった。 次の仕事を探すためしばらくはぶらぶら。その鞄の中には何か募集があればすぐ面接を受けようと履歴書を入れていた。 そんなある時、近鉄の藤井寺を歩いているとふとパンのいい香りがしてきた。 パッと見てみるとそこにはパンとケーキが置いてある店が一軒。そしてウィンドウには「募集」の文字の張り紙が。お店に入り鞄にある履歴書を取り出してそのまま面接をさせてもらった。何の根拠も目的もなかったが 「とりあえずいい香りがした。美味しそう」 そんな些細な事がお菓子の道に入るきっかけだった。

『FLOUR』という店

面接で店長に最初に「何で君はうちに来てくれたの?」と聞かれ、正直に「美味しそうな匂いがしたので・・・」と答えた。 「何がしたいの?」と聞かれてドキッとした。口からとっさに出た言葉は「将来こんなお店が出来たらいいですね。パンを作らせて下さい。」自分に目的がない事に気づいた。よく今の若者が「目的がない」とか「何を聞かれても答えられない」というが、自分もそうだったのだ。 「作る事も売る事もどちらも大事。どちらを先にやってもかまわないよ。今は売る方が足りないので君は明日から売る方をやってくれる?」と言われて何も考えず「はい、わかりました。」と答えた。

そして20歳の時に『FLOUR』という店に就職した。 仕事初日の事はよく憶えている。みんなものすごく仕事が速く緊張感があった。 特に夜の大学生のアルバイトの人達には驚かされた。その能力は今から考えてもすごい。 何も出来ない初日の夜。「よろしくお願いします!」と挨拶すると、「このパンの名前は憶えなくていいから、パンの形で値段が分かるようにしてね。そうじゃないとレジが打てないからね。」と言われた。その後「3日で憶えてね。3日目にはあなたにレジをさせるから絶対に憶えてね。」パンの種類は30以上ある。 度肝を抜かれた。「はい。」しかし、3日間で4割ほどしか憶えられずその約束は守れなかった。丁度三日目にローテーションのシフトで一緒になったのは約束をした子だった。「山尾君は今日レジね。」と言われレジをした。

しかしすぐにレジは止まってしまう。値段を憶えていないからだ。夕方のピーク時、お客様が結構並んでいた。でも助けてはもらえなかった。「値段が分かりません」というと「棚に名前と値段が書いてあるから見に行っておいで、私は教えないから。」といわれた。
「すみませんまだ見習いなのでちょっと待って下さい。」とお客様にはその子が言っていた。次の人もその次の人も・・・並んでいる人全員レジを打つたびに棚まで値段を見に行きものすごく時間がかかった。(今だったらこんな指導方法はありえないが) お店が終わり、「約束をしたでしょ?約束を守れないあなたが悪いのよ。」 その時、自分の仕事の出来なさ、約束を守らなかった自分の情けなさをその大学生に教えてもらった。
そこから、メモを取ったりして必死で憶えた。

その時厳しくしてくれたことをとても感謝している。 当時レジは時間が掛かり、電卓も普及していなかった為レジの最後の精算やレジの途中点検をみんなそろばんでしていた。しかしそろばんが出来なかったため筆算でやることになり遅くなってしまう。「そろばんが出来ないってこんなに辛いんか」と思った。中学の同級生の女の子に相談するとその子が会社帰りにそろばんを教えてくれると言ってくれた。教えてもらう場所がなかったので藤井寺の観音さんの境内の軒下で教わった。外灯の明かりの下、寒さで手を震わせながら・・・。その子にはとても感謝している。 新人は最初、掃除とパンのコーナーだった。徐々に洋菓子の包装もした。入った頃は、今のようにケーキ用のキャリーバックのような簡単な箱はなかった。全部底とフタがあり、それを包装して金の紐をかけていた。そのころはそういうところが結構多かった。

そのころ店長の奥様がパートで洋菓子売り場に居た。最初「私のやる通りにやって。」と言われ、きっちりした包装の仕方、紐の結び方を教えてもらった。そして「じゃあ今から本番」といわれてすぐ本番だった。いざお客様の包装をするとどうしても紐がゆるくなってしまう。すると店長の奥様がお客様の前でパチンと紐をはさみで切ってしまう。そして「私がやります。これではお話になりません」と言われた。「この紐、1メートルいくらか知っている?」とにかく厳しかった。最初の段階で物の値段や物を無駄にしてはいけないという教育を受けた。入って一ヶ月は寝る間もなく毎日が緊張の連続だった。
今からしたらすごく厳しかったと思うが辞めようとは思わなかった。

最初の面接で「将来はお店を持ちたい」と言った一言が恥ずかしかった。だから誰よりも早くお店に行き準備をして掃除や出来る事は何でも片付けておこうという気持ちになった。「こういう事が見習いのやる事だ。普通の事が出来るようになってから要望とか意見言えるようになるんだ」と思った。入った1年目は「これが職場か!」と後ろからがつんと叩かれるような気持ちで必死だった。 あの時代のことを思うと泣けてくる・・・。辞めようとは思わなかったが続けられるかなぁとは思った。しかし職場のパートの方やパン工場の人に「朝一番に来ているね、よく続いてるね」と褒めてもらったりして。その一言が心の糧になっていた。

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